2014/5/11 場所:元北上総合支所
「あかり堂@いしのまき」という一般社団法人の方々が、月命日にあたる11日に、光を灯し続けています。
2014/5/11 場所:元北上総合支所
「あかり堂@いしのまき」という一般社団法人の方々が、月命日にあたる11日に、光を灯し続けています。
2014/4/26 場所:女川町
本日は石巻の隣にある宮城県女川町に行きました。ご存知の方も多いと思いますが、震災以前は全国でもトップクラスの水揚げ量を誇り、まさに漁業の中核を担っていました。しかしながら、約600名にものぼる被災者がでました。港近くということもあり、水没した土地が数多くあります。そのため、ガレキの撤去が進んでいるとはいえ、嵩上げ事業はまだまだ不十分な状態です。また、女川には現在は稼働していませんが、女川原発があるので町民の心には不安という二文字はなかなか払拭されていない状況です。
2014/3/26 場所:石巻市立大川小学校
2014/3/29 場所:石巻市立門脇小学校
左:大川小学校 右:門脇小学校
石巻市立大川小学校では震災当時、ハザードマップでの津波・浸水区域とされておらず、避難所として指定されていました。学校の裏手には山もあり安全とされていました。しかしながら、山と堤防に遮られていて津波の動向が把握できない環境だったこと等が避難を遅らせた要因として挙げられ、教職員9割、生徒7割が亡くなられたそうです。
石巻市立門脇小学校では、大川小学校と同条件で裏手に山があります。学校に登校されていた生徒は裏手の山側へ避難がなされ、登校されていない学生約1割が亡くなられたそうです。ですが、津波で流されてきた家財などで小学校に火災が置き全焼しました。グランドを使う学生への配慮とのことで火災の跡は見えないようになっています。
同じような条件でも被災状況が違います。避難の方法や出されている事前の情報が、全て真実とは限らない。そんな時にどう考えるか、どう判断するか。ここで被災があった場合どういう風に対応するか。皆様にも考えてもらいたいです。
石巻でも有名な献花台と「がんばろう石巻」。津波は6m90cm(棒の先端の青色の位置)だったそうです。
本日、「JEN」というボランティア団体の方々が門脇小学校の校庭に花壇を作っていました。
2014/3/22(土)語り部を聞く会 場所:ピースボートセンター石巻(PBV)
本日は、石巻市内にあるピースボートセンター石巻で、「語り部を聞く会」という実際に東日本大震災で被災された方々からその当時のお話をお聞きするイベントに参加しました。
今回は、石巻市に在住していた20歳代後半の女性、現在はピースボートセンター石巻で活動されている方から震災当初の石巻付近の状況や、一人の人としての震災当初から1年後の心情などを語って頂きました。当たり前に使っている電気・水・火など日常で欠かせないものが一切使用できず、苦労したそうです。また、心の潤いを皆に与えようと震災当初から色々と活動していましたが、半年・一年と月日が経つにつれ、生きていることに悩みを抱いていました。当時、その女性の心を救ったのは、日本全国から集まったボランティアの方々や同じ想いを背負っている仲間と共に、皆を勇気づけようと色々な活動したことでした。震災をきっかけに何か活動を行うようになり、「震災のことを風化させたくない」、「これからの震災対策に繋げていきたい」とピースボードセンター石巻で活動されています。
最後に一番伝えたいこととして「財産よりも命」。命があればなんとでもなるんです。そう力強く言ってくれました。また、震災後に学んだこととして、「人に興味を持つこと」を挙げてくれました。「支援」ではなく「始縁」がこれから必要なんじゃないかな。何かしなければいけないと想うのではなく、まずはそこの人たちと繋がりをもつこと。人に興味を持って、人と人が繋がることで色んな問題が解決できると想う。すごくいい言葉でした。